
和心百景番組HP :
https://www.tbs.co.jp/wagokoro-hyakkei/
住友林業と和心百景
住友林業は、再生可能で持続性のある「木」を生かし、
人と社会と環境の共生することを理念としてきました。
そして、和心百景は人が自然と共に育んできた日本の伝統工芸を紹介する番組です。
住友林業は番組を通じて、
日本の自然・長年培われてきた地域に根ざした技術や工芸品、
そこで生きる人々の思いや営みを知ってもらい、これからの共生を考えるきっかけ、
さらには地域創生の一助になればと考えています。
番組アーカイブ
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プレゼントキャンペーンも実施中
番組HPにてプレゼントキャンペーン実施中!ぜひご参加ください
https://www.tbs.co.jp/wagokoro-hyakkei/
※プレゼントキャンペーンは応募期間を設けています。ご確認をお願いいたします。
茶筒/京都府
茶筒とは?
千年の都・京都には数多くの伝統工芸がありますが、茶筒もその一つ。日本人の生活に欠かせないお茶ですが、茶筒とはその茶葉を保管するための道具です。明治初期・文明開化の時代、イギリスから輸入されたブリキを使い金属製の茶筒を日本で最初に作ったの京都でした。それまで茶葉は、陶器の茶壺で保存していましたが、割れたり持ち運びが不便だったりしました。一方、ブリキの茶筒は壊れにくく軽いこと、さらに、茶葉の大敵である湿気と光を遮断できるということで評判となりました。



手作りだからこそ生み出せる
八木隆裕さんは京都で百年以上続く『開化堂』の6代目であり茶筒作りの職人です。茶筒の特徴の一つである“気密性”を高めるために重要なのが、金属の板を筒状に丸める工程だそう。板を合わせるために目印として板に線を引くのですが、線の幅は1mmにも満たない。職人はその細い線の真ん中なのか、端なのか、どの部分に板を合わせるのかまでを考え、緻密な作業を自らの手で行います。


茶筒は内側と外側の2つの筒が合わさった二重構造です。その隙間の調整は、金属を叩いて伸ばすことで行います。「隙間が空きすぎると空気が入ってしまう。でも隙間がないと蓋が閉まらない。その絶妙な調整が難しい」と八木さんは話します。


職人の手により絶妙に調整された茶筒は、蓋の重みで空気が抜けながら、自然と閉まります。これは機械ではできない職人の手づくりだからこそ生み出せるものなのです。


プロも使う茶筒 工芸品と出会えるカフェ
宇治茶の老舗「丸久小山園」では、明治時代から茶筒が使われています。「茶筒は、繊細な茶葉の質を保ってくれる大切な道具。本来の香りを保った美味しい状態で、お茶を楽しんでもらえると嬉しい」と渡邊和正さんが話します。
また開化堂が手がける「Kaikado Café」では、コーヒー豆の保存にも使用し、新しい茶筒の使い方も提案しています。お店のマグカップは京都宇治の朝日焼を使うなど、茶筒以外の京都の伝統工芸品にも触れることができます。お茶とともに京都の伝統工芸を楽しんではいかがでしょうか。





BUNACO(ブナコ)/青森県
BUNACO(ブナコ)とは?
青森県と秋田県にまたがる約13万haの広大な「白神山地」は、世界でも有数のブナ林です。『BUNACO』はそんな白神山地を有する青森県が指定する伝統工芸品でブナの木工品です。
ブナという木は、水分が多いため変形しやすく腐りやすいとされ、木材としては敬遠されていました。しかし、県内に豊富にあるブナの資源を活かしたいと青森県が主導で昭和30年代から研究が進められ、画期的な加工方法が生み出しました。それは、ブナの木をテープ状にし、それをコイルのように巻いて立体を造形するというもの。薄くテープ状にすることで、しっかりと乾燥することができ、またそれを巻くことでデザイン性にも優れた立体を成形することができるのです。今では、テーブルウエアやインテリアグッズ、照明などシンプルでモダンな製品が多く作られています。




職人が一つ一つ手作業で巻く
「材料はその時々によって微妙に水分量が違っている」と職人の林晃史さんは言います。機械ではできない難しいところも、職人はその違いを感じ取り、一つ一つ丁寧にテープ状になった材料を巻いていきます。職人の技術と愛情が込められたBUNACOを街で見かけた時、職人の林さんはつい子どもたちに自慢してしまうそうです。


食べれらない『バウムクエヘン』
「BUNACOは(その見た目から)バウムクーヘンみたいと言われる」という話をデザイナーである佐藤卓さんが聞いたところ、「でもBUNACOは食べれないから“バウムクエヘン(食えへん)ですよね」という話したことがきっかけで生まれました。
バウムクエヘンは、これまで使われていなかった波打ってしまった材料を使っており、資源の有効利用にもなっています。


BUNACOの照明誕生秘話
BUNACOの製品は多種に渡りますが、その中でもデザインと木の温かみを特に感じられる“照明器具”それが生まれたのもちょっとした偶然から。ある時、工場の中にたまたま薄く削られたブナの木材が立てかけて置かれていました。そこに西日が当たって真っ赤に光っていたそう。そのことで、ブナはある厚さに削ると光を透過して赤くなることに気づいたのです。この特徴を活かしたものを作ろうと考え、BUNACOの照明が生まれました。デザインの種類も多く温かみのある優しい光の照明は、ショップや家庭などさまざまなところで使われています。


小田原漆器/神奈川県
小田原漆器とは?
箱根山系の豊富な木材を使い、室町時代中期に始まったとされる神奈川県の伝統工芸品『小田原漆器』挽物の木地に漆を塗った器は、江戸時代に入ると東海道屈指の宿場町であった箱根や小田原の土産物として全国に広がりました。素朴でありながらも実用的な小田原漆器は、今も昔も人々の生活の中に根付いています。



挽物と漆、2つの職人技
小田原漆器は木と漆から作られる非常にシンプルな伝統工芸品。だからこそ、それぞれの特徴を活かすために職人の技術が求められます。最初は木材を粗く削り出し大まかな形にし、2〜3か月乾燥させます。乾燥させることで木はより固くなり丈夫なものとなります。小田原漆器の特徴は挽物であること。乾燥させた木を“ろくろ”を用いて椀・皿・盆などの形に削っていきます。それが出来上がると、木目を活かすなど繊細な漆塗りの作業を行いようやく完成するのです。伝統工芸士・大川肇さんは「普段使いすることで、素材を活かした木のぬくもりを感じて欲しい」と話します。



地元で工芸品に触れられる
小田原市にある『料亭門松』の料理長・大久保昌彦さんは、小田原漆器を愛する一人。「小田原漆器は手で持った時にぬくもりを感じる」と長年にわたり小田原漆器をお店で使用しており、地産地消にこだわった四季折々の日本料理を小田原漆器の器と共に楽しむことができます。
小田原漆器に魅せられ小田原市に移住してきた人も。兵庫県出身の鈴木友子さんは伝統工芸士に師事し、今は独立して市内で工房『もくのすけ』を構えています。小田原漆器の技術を活かし、器だけでなくアクセサリーや雑貨など“ふだん使いできるもの”・“役に立つもの”・“永く使えるもの”をテーマにひとつひとつ制作しています。新しいデザインを心がけることで若い人たちにも欲しいと思ってもらいたい、もっと木工の魅力を知ってもらいたいという思いを胸に鈴木さんは制作を続けています。



赤津焼/愛知県
赤津焼(あかづやき)とは?
「せともの(瀬戸物)」と言うと、今ではやきもの(陶磁器)全体を指す言葉になっていますが、元々は愛知県瀬戸市周辺で作られる瀬戸焼の総称で、瀬戸焼は日本六古窯の一つにも数えられる日本を代表する焼き物です。赤津焼は、その瀬戸市の東部・赤津町周辺というごく限られた地域で作られる焼き物。その歴史は非常に古く、およそ1300年前の奈良時代の須恵器まで遡ると言われています。鎌倉時代、この地では釉薬が唯一使われていたとも言われ、安土桃山時代〜江戸時代初期にかけ、茶道の発展と共に現在にも引き継がれる技術や技法が確立しました。



7種の釉薬と12種の装飾技法
赤津焼の最大の特徴はその多彩さにあります。釉薬は、織部釉(おりべゆう)、志野釉(しのゆう)、黄瀬戸釉(きぜとゆう)、古瀬戸釉(こぜとゆう)、灰釉(かいゆう)、御深井釉(おふけゆう)、鉄釉(てつゆう)の7種類。装飾技法は、へらで彫って模様を付ける「へら彫り」、型で押して模様を付ける「印花(いんか)」、竹櫛や金櫛を使い模様を描く「櫛目(くしめ)」などを12種類もあります。これらを組み合わせることで赤津焼は、多彩な表現を生み出すことができるのです。しかし、陶芸は「土こね3年、ろくろ8年」などと言われるように習得に時間がかかります。赤津焼は、成形もろくろ・たたら・手ひねりがあり、職人は多くの技術を学ばなければいけません。伝統工芸士・梅村知弘さんは、「7種類の釉薬で、一番きれいな色の出る釉薬の厚みや使い方がすべて異なるため、職人の指先の感覚で塗り分けていく」とその難しさを語ります。


鮮やかな緑が人気の織部釉
多種多様な種類がある赤津焼ですが、中でも代表的な釉薬が“織部釉”。
織部釉は、長石と草木灰をベースにした灰釉で酸化銅を加えることで緑に発色します。
この“緑”は、焼成するだけでは生まれません鮮やかに発色してくれません。もう一つ“栃渋”を使う工程が必要なのです。“栃渋”とはどんぐり(くぬぎなど)の笠を水に浸したもので、これに一昼夜浸し、水洗い、乾燥(天日干し)、その後に磨くことで表面の膜が取れ、ようやく鮮やかな緑が現れるのです。職人の手間があってこそ、表情豊かで味わいのある焼き物が出来上がるのです。




別府竹細工/大分県
別府竹細工とは?
日本有数の温泉地として知られる大分県別府市。ここで室町時代から作られている伝統工芸品が別府竹細工です。経済産業省が指定した伝統的工芸品では大分県で唯一のものです(2023年時点)。別府竹細工の発展は温泉と深くつながっています。江戸時代、別府温泉が湯治客で賑わうと、滞在中に使う台所用品や湯かごなどが多く作られるようになり、それを土産物として持ち帰ったことで全国へと知れ渡り、別府竹細工もまた産業として発展しました。主な原料は編み込みに向いている大分県産の真竹(まだけ)です。



職人が一人で作り上げる
竹細工作りは、1本の竹を切り分けて材料を作ることから始まります。1本の竹を2つに割り、さらにそれを2つに割り、これを繰り返して必要な太さの竹を準備します。別府竹細工の基本的な技法(編組技術)は、指定されているもので「四つ目編み」「六つ目編み」「八つ目編み」「網代(あじろ)編み」「ござ目編み」「縄目編み」「菊底(きくぞこ)編み」「輪弧(りんこ)編み」の8種があり、これらの編み方をさらに組み合わせることで200種類以上の編み方ができるそうです。竹細工の製品は、盛籠や花器、インテリアグッズ、マガジンラックまでさまざまな種類がありますが、職人は用途やデザインに合わせて編み方を考えています。伝統工芸士・大谷健一さんは、「殺風景なテーブルでも、竹のざるがあるだけでホッとするような優しい雰囲気になる。手に取って、竹の温もりを皆さんに知ってもらいたい。」と思いを語ります。



未来を担う力ための町ぐるみの取り組み
別府市内にあるスターバックスコーヒー。この店の店内には竹細工の照明が使われています。別府では町をあげて竹工芸を盛り上げようと取り組んでいます。取り組みは古くから行われており、明治後期には竹工芸の職業訓練校ができ、今も若い人たちが竹工芸の後継者となるべく技術を学んでいます。竹工芸士のさとうみきこさんは、地元で竹細工を取り扱うショップ兼工房「cotake」を2017年にオープンしました。花など自然のものからアイデアを得て、竹を使ったアクセサリーや、若い世代に向けたデザインのバッグなどを制作・販売しています。「伝統を守りながら、未来につなげるために色んな作品作りに挑戦したい」とさとうさんは想いを語ります。



